月山、金色堂の奥の院

世界遺産の金色堂・・その奥の院、ご存知ですか?

是非知って頂きたい文化遺産の一つとして、衣川の月山を取り上げたい。

「中尊寺」がある「関山」の隣に位置する「月山」は標高一三〇メートルで、「月山神社」は、「中尊寺」を勧請した慈覚大師(じかくだいし)によって勧請(かんじょう)され、

藤原清衡(ふじわらのきよひら)公が再興し、中尊寺の奥の院として栄えた神社である。

世界遺産の中尊寺の奥の院であるから・・とワクワク間を持って行ってみたが、驚いた。神社も参道も、いつか無くなるかもと心配するほど荒れていた。

月山の歴史を辿れば、元来はアラハバキの神でり、その頂上にある巨石を崇(あが)めた土着信仰であった。

衣川を本拠地とした古代東北地方の蝦夷の俘囚長の安倍一族はこのアラハバキの神を最高の守護神としていた。

そもそも、お社は無かったのだが、十世紀初頭に朝廷から官社として認識されて、「和我叡登拳(わがえとの)神社」として延喜式(えんぎしき)内社となっている。

延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された律令格式であり、その中に記された神社は内社とされて格式が与えられた。政治色が強いものであった。

和我叡登拳(わがえとの)神社は、先に述べたように、後に慈覚大師によって月山(がっさん)神社として勧請された。

安倍一族や藤原三代の栄華の時代には、多くの信者が訪れていたと思われる。

雑草で参道が道が分からなくなるほど荒れていたが、古杉の林の中を登りながら、次第に癒され、心が清められる思いがした。

このままでは、失くなるのではと危惧したが、後世に、先祖がくれたこのような心静まる空間を残せないものであろうか。

日進月歩で世の中が進歩発展していくほど、そのような心の原点回帰の空間が必要とされるのではないだろうか。










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